ヨシキリ亭in 江戸川 日々に感じた事を写真画像付きで。 | ||
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2010年5月17日(月曜日) | ||
普天間勝負の月 | 12:45 yanagi | |
普天間の基地を取り巻く人間の鎖が出来たそうだ。この基地も本をたどれば敗戦後の占領からの由来だろう。当時は勝者である米軍の都合で置かれたはずである。それから六十有余年。沖縄県の日本国復帰から四十年になりなんとす。日米間の条約取り決めも当時の力関係を表して対等の取り決めとは云えない。某政党は憲法改正を党是とする。だが当時の国防に関する条約を結んだのはその党自身である。その前にまずこちらを米国と交渉して、同盟関係というならば改正したらどうか。江戸末期の外圧外交で結んだ不平等条約改正を、明治になって苦労の末に相手方に認めさせた。今回もにたようなシチュエーションではないか。敗戦当時は如何ともすることは出来ない。今回は平和憲法を戴いて六十数年。普天間の基地を考える上でキーワードは抑止力か。普天間がなくともまだ米軍基地はいっぱいあるぞ。他国にも。国民も我が県に基地は要らないという正直な気持ちを土台に、抑止力と平和憲法と国益のジグソーパズルをシミュレーションしてみたらよいと思うが。
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2010年5月06日(木曜日) | ||
100年経って | 09:56 yanagi | |
5月5日はよい天気で用事があった上野へ出かけた。上野の広小路口の方の西郷銅像の下当たりで中国の人たちがパンフレットを配っていた。足下にはガードレールに斜めに立てかける感じで パネルが十数枚ずらっと並んでいた。自然と引き込まれた。それにはむごたらしい拷問死の写真と説明文が。中国政府による弾圧だと云う。すごすぎる。 今年は日韓併合100年だと云う。また大逆事件100年の年でもあるらしい。100年前に幸徳秋水ら12(?)名が死刑に処されたのであった。大逆事件とは言うものの当時の裁判官も判決文で述べているらしいのだが、さばかれたのは被告らの無政府主義という思想に対して、死刑の判決がくだされたということのようだ。幸徳秋水には国を単位とする考え方が戦争をもたらすという信念があったようだ。 とにかく100年前は我が日本国も自国民をゆえなくして悲惨な目に遭わせて恥じることの無い国であった。ところが現在に置いても、ご近所にそのような国があることに震撼した日であった。 | ||
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