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あなたたちの行動こそ重要であることを知りなさい。あなたたちは皆、人類を危 機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに 気づかなければなりません。世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器 禁止条約に参加し&

あきらめるな 光に向かってはって行け
ノルウェーのオスロで10 日あったノーベル平和賞の授賞式典。国際NGO「核兵器廃絶国
際キャンペーン」(ICAN)(アイキャン)のベアトリス・フィン事務局長(35)と、カナダ在
住の被爆者サーロー節子さん(85)の講演は、核兵器を法的に禁止することが「唯一、可能
な現実」と訴えるものだった。サーローさんは核廃絶を「あきらめるな」と繰り返した。
平和賞授賞式サー口ー節子さん講演(全文)

皆さま、この賞をベアトリスととも に、ICAN 運動にかかわる類いまれなる全ての人たち を代表して受け取ることは、大変な光栄です。皆さん一人一人 が、核兵器の時代を終わら せることは可能であるし、私たちはそれを成し遂げるのだという大いなる希望を与えてく れます。 私は、広島と長崎の原爆投下から生き延びた被爆者の一人としてお話をします。 私たち被爆者は、70 年以上にわたり、核兵器の完全廃絶のために努力をしてきました。 私たちは、世界中でこの恐ろしい兵器の生産と実験のために被害を受けてきた人々と連帯 しています。長く忘れられてきた、ムルロア、インエケル、セミパラチンスク、マラリン ガ、ビキニなどの人々と。その土地と海を放射線により汚染され、その体を実験に供され、 その文化を永遠に混乱させられた人々と。私たちは、被害者であることに甘んじていられ ません。私たちは、世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け 入れません。私たちは、大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へ と無謀にも導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。 私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。核兵器 と人類は共存できない、と。 今日、私は皆さんに、この会場において、広島と長崎で非業の死を遂げた全ての人々の存 在を感じていただきたいと思います。皆さんに、私たちの上に、そして私たちのまわりに、 25 万人の魂の大きな固まりを感じ取っていただきたいと思います。その一人ひとりには名 前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなり ません。 米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13 歳でした。 私はその 朝のことを覚えています。8 時15 分、私は目をくらます青白い閃光を見ました。私は、宙 に浮く感じがしたのを覚えています。 静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、 私は、自分 が壊れた建物の下で身動きがとれなくなっていることに気がつきまし た。私は死に直面し ていることがわかりました。私の同級生たちが「お母さん、 助けて。神様、助けてくださ い」と、かすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めま した。 そのとき突然、私の左肩を触る手があることに気がつきました。その人は「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! !蹴り続けろ! あなたを助けてあげるから。あの隙聞から光が入っ てくるのが見えるだろう? そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい」と言うの です。私がそこからはい出てみると崩壊した建物は燃えていました。その建物の中にいた 私の同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されていきました。私の周囲全体にはひどい、 想像を超えた廃虚がありました。幽霊のような姿の人たちが、足を引きずりながら行列を なして歩いていきました。恐ろしいまでに傷ついた人々は、血を流し、やけどを負い、黒 こげになり、膨れあがっていました。体の一部を失った人たち。肉や皮が体から垂れ下が っている人たち。飛び出た眼球を手に持っている人たち。おなかが裂けて聞き、腸が飛び 出て垂れ下がっている人たち。人体の焼ける悪臭が、そこら中に蔓延していました。


世界に懇願します。核禁止条約に参 加を

このように、一発の爆弾で私が愛した 街は完全に破壊されました。住民のほとんどは一般 市民でしたが、彼らは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。その中には、 私の家族や、351 人の同級生もいました。 その後、数週間、数カ月、数年にわたり、何千 人もの人たちが、放射線の遅発的な影響によって、次々と不可解な形で 亡くなっていきま した。今日なお、放射線は被爆者たちの命を奪っています。 広島について思い出すとき、私の頭に 最初に浮かぶのは4 歳のおい、英治です。彼の小 さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声 で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。私にとって彼 は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表して います。毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての 物を、危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりませ ん 私たち被爆者は、苦しみと、生き残るための、そして灰の中から生き返るための真の闘い を通じて、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しな ければならないと確 信しました。くり返し、私たちは証言をしてきました。 それにもかかわらず、広島と長崎 の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。彼らは、これは「正義の戦争」を終わ らせた「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今 日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。9 カ国は、都市全体を燃やし尽くし、地 球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続 けています。核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗 黒のふちへと墜落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。今年7 月7 目、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜び で感極まりました。か つて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、人類の最 良のときを目の当たりにしました。私たち被爆者は、72 年にわたり、核兵器の禁止を待ち 望んできました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。 責任ある 指導者であるなら、必ずや、 この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者 たちを厳しく裁くで しょう。彼らの抽象的な理論は、それが 実は大量虐殺に他ならない という現実を もはや隠し通すことができません。「核抑止」なるものは、軍縮を抑止する もの でしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きる ことはしないのです。 核武装国の政府の皆さんに、そして、 「核の傘」なるものの下で共犯者となっ ている国々 の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。 そして、あなたたちの行動こそ重要であることを知りなさい。あなたたちは皆、人類を危 機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに 気づかなければなりません。世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器 禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。 私は13 歳の少女だったときに、くすぶるがれきの中に捕らえられながら、前に進み続け、 光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約 です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対 して、広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。「あきらめるな! (が れきを)押し続けろ! 動き続けろ! 光が見えるだろう? そこに向かってはって行け」 今夜、私たちがオスロの街をたいまつをともして行進するにあたり、核の恐怖の闇夜から お互いを救い出しましょう。どのような障害に直面しようとも、私たちは動き続け、前 に進み続け、この光を分かち合い続けます。この光は、この一つの尊い世界が生き続ける ための私たちの情熱であり、誓いなのです。


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あきらめるな 光に向かってはって 行け
執筆者: yanagi ((eya@vijuu.org))
発行日: Sat, 16-Dec-2017
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